2ntブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | 【--------(--) --:--:--】 | Trackback(-) | Comments(-) | [編集]

舞台「娼年」

2016年の夏、「娼年」の舞台を観に行きました。
その時途中まで感想を書いていたのですが、完成に至らず・・・この度の映画化に寄せて、改めて記事を完成させることにしました。
物語のネタバレも若干含みますので、映画を観る前にこの先を読むかどうかは、お任せします。





2012年の一徹くんのこのツイをきっかけに読んだ小説「娼年」。
人生の目標もなく、ただ日々を生きているだけだった大学生が、ある女性に見いだされて、いわゆる「男娼(娼夫)」になるお話し。
体を売るという行為はさておき、リョウは仕事で出逢う女性の様々な欲望に、優しく丁寧に親身になって自分のカラダと言葉を使って応えていくのです。

読みながら、自然とわたしはリョウと一徹くんを重ね合わせていました。
リョウはもうちょっと影のある感じだけど、どんな女性に対しても真摯に自分をさらけ出せるように導いていく言動と、女性を性的に花開かせるオーラを持っているところ、それでいて自然体なところ。
セックスの描写も何度も出てきますが、その場面の映像は、一徹くんのイメージで容易に想像することができました。

きっとこの本を一徹くんにプレゼントした方も、リョウと一徹くんに通じるものがあると思ったからなんじゃないかなぁ?と思いました。

ドラマ化も映画化もなかなか難しいだろうなぁ~と思ってたこの「娼年」がなんと舞台化されるという情報が入って来て、
しかも、主役のリョウは松坂桃李くんが演じるというのです。
この情報は、一徹くんもツイしてましたねぇ~。

チケットの一般発売日をうっかり忘れてしまって、慌てて探したら、唯一「ホリプロオンライン」でのみまだ扱いがありました。
しかし、土日はとっくに売り切れ。
平日昼間なら、息子をちょっと留守番させればなんとかなるか・・・と、夏休み明けの平日のチャレンジです。


当日。
東京芸術劇場プレイハウスは、とても上品な劇場でした。
こういうところでの観劇って、ちょっと身も心もきゅっと引き締まります。

チケット取ったのが遅かったので、2階の舞台向かって左の最後列でした。
でも、ここからだと舞台を見下ろす感じで、全体が見れます。

舞台は3層になっていて、
一番下の層:一番大きなステージ。真ん中に大きなベッド
二番目の層:リョウがバイトするBAR・静香の自宅兼オフィス
三番目の層:舞台としてはなく、リョウが登場する場所であり、母が消えていった場所であり
そして、舞台の両脇はリョウが客を相手にする地名と風景を映し出すスクリーンです。


舞台は小さい男の子がベッドで寝ているところから始まります。
幼少期のリョウです。
寝ている息子に優しい声をかけ、すぐ帰って来るからいい子でお留守番してるのよ、ときれいに身支度整えた母が家を出ていくシーンです。
母は、息子が少し寂しそうに見守る中、舞台真ん中の階段を最上部までゆっくり上って消えていきます・・・
これがリョウが母を見た最後の記憶になるのです。

大学生になったリョウは、大学にはろくに行かず、BARでバイトをし、授業のノートは女友達の恵が持って来てくれるという、人生には特に目標もない淡々とした日々を送っています。
そこへ、ホストまがいの友人が連れてきた大人の女性、静香。
「あなたのセックスの値段を知りたくない?」と言われ、リョウは静香の自宅についていきます。セックスの値段を見てもらうために。

てっきり静香を抱いてその価値を測られるのだと思っていたリョウですが、実際は、ろうあ者の少女咲良を、静香の見ている前で抱く、ということなのでした。
人前でのセックスに一旦は躊躇するものの、リョウは無我夢中で咲良を相手に自分なりのセックスをします。

これが舞台上での初めてのセックスシーンなのですが、まずは、とにかく驚愕でした。
照明が落ちてシルエットになるでもなく、
薄いカーテンや天蓋がかかってぼやかされるわけでもなく、
シーツにくるまれた中で演じるわけでもなく・・・。

そこには、生身の男女が、肌を重ねて、音が立つほど激しく唇を重ねて、胸を揉み、股間に手を伸ばしてパンツの中にも手を入れ、パンツも脱ぎ、ひとつになるという、セックスそのものを見せる衝撃の場面がありました。
もちろん、本当にはしていないでしょう。
たぶん、局部は見えない処理がしてあるでしょう。
でも、女優さんのおっぱいもおしりも、桃李くんのおしりも、隠されることなく露出されていました。
また、ドラマや映画のように「ステキにキレイに」演出されているのでもなく、リョウという男性の不器用さも、咲良がだんだんと気持ち良くなって喘ぐ声も「生身」でした。
コンドームを付ける動作も、発射後にパチンと外す動作も。

大勢の観客が、目の前で起こっていることを、固唾を飲んで見守るセックスシーン。
映画館でベッドシーンを観るのともまた違った感覚です。
まずこの場面で「ここまでか!」という洗礼を受ける感覚でした。


静香は「不合格」とするも、咲良が「合格」としたので、リョウは静香の経営するボーイズクラブに所属することになりました。
静香が見立てたスーツを身に着け、予約客との待ち合わせ場所に行き、客の要望に応えます。

リョウが出会う女性たちは、それぞれにいろいろ抱えていて、それでもリョウと体を合わせることによって心が癒されたり、欲望が満たされたり・・・
舞台の上では、上記のように露出度の高いセックスシーンが何度も演じられます。
ちょっと笑ってしまったのは、ある場面で射精がベッドを越えてあっちまで飛んだのが見えたことです。もちろん疑似でしょうし、演出なのですが。
AVを見慣れているわたしは大いに笑えたのですが、高尚な舞台を観に来ているはずの観客席は「ここ笑っていいのかしら私…」的空気に包まれていました(笑)

小説で読んで頭の中で映像化した物語がひとつずつ、舞台という場所で演じられていくことに、わたしは官能とは違う興奮を味わっていました。
舞台ってとても限られた空間なのに、とても広がりを感じましたし、場面転換などの違和感もなく、「舞台」という場所をかえって有効に使っていました。

リョウは、顧客である女性たちにとっては癒しの天使のような存在だと、小説を読んでいても思ったのですが、仕事に向かうリョウは、必ず舞台の第三層目の空間から、長い階段をゆったりと歩いて待ち合わせの場所である第一層に降りていきます。
第三層は、冒頭の場面でリョウの母が消えていった場所でもある、いわば天国。
リョウは、第一層の現実世界に、天国からの階段を使って降りて来る使者なのだと、舞台上でも示されていたのではないかな~と思います。

生きることに無気力だった青年が、悩める女性たちにセックスを施すことによって生きがいや愛を得ていく物語ですが、全編通してもの悲しく、けっして明るくありません。
「生」と「性」のテーマの中に、常に「死」というテーマも含まれていました。
観劇後、ずっとその世界観の中に心を持っていかれているような、ふと気づけば舞台で観た場面を反芻しているような。
観劇してから2年弱経っているわけですが、鮮明に思い出せます。

この度の映画化、舞台以上に小説の世界をイメージ通りに映像化されているのではないかと期待しています。
舞台上での体当たりもすごかったですが、映画での体当たりのセックスシーンも、どうなっているのか・・・公開を心待ちに、また小説も読み返そうと思います。



一徹くん以外 | 【2018-03-10(Sat) 00:27:13】 | Trackback:(0) | Comments:(1) | [編集]
コメント
怒濤の3月がようやく終わり、久しぶりに遊びに来たら『娼年』の話題!!
石田衣良さんのファンの私はもちろんこの作品は読了しました。そして、みぃみぃさんと同じく、主人公の姿を一徹さんに重ねました。
残念ながら舞台は観られなかったので、来月の映画を楽しみにしています。
私もまた小説を読み返したくなりましたo(^o^)o
2018-03-27 火  15:45:31 |  URL | がんこ #- [編集]
コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


Copyright © ピンクなココロ All Rights Reserved. Powered By FC2. 
skin:*cuteblog*